日刊せみなりーBLOG

人生半ば?

更新日:2020/01/13

知り合って
8年くらい経つ方と

初めてランチをした。
なんだかんだと話をしていたら、

『え!?中野さんって、
看護婦さんだったの!』

と、
驚かれた。

そうなんです。
看護婦でした。

どうして辞めたの?

やりすぎちゃって
体を壊して、

少し休んで
復帰しようと思っていたら、

夫に少し働いてくれ!
と言われて、

働き始めて
今に至る。です。

そう言うと、
その方は頷いた。

看護婦をやりすぎて体を壊す。
は、なんとなくよくある話だ。

『私は今のために、
体を壊したんですね。』

私がそう続けると、
その方はもう一度大きく、

頷かれた。

近頃、
本当にそう思う。

看護婦時代に学んだことや
様々な経験は計り知れないほど

大きいが、
それらが全て今のために

あるような気がする。

私が看護婦をした期間は
14年と5ヶ月。

ものすごく一生懸命働き、
ものすごく勉強もした。

専門病棟が
でき始めた頃だったが、

私が働いていた病棟には、
ありとあらゆる疾患の患者さんが

入院していた。
吐血、下血、心筋梗塞、

呼吸不全に
腎不全。

昔だから、
今とは随分治療が違うけれど、

専門病院に運ばれるまでの間、
できる限りの治療をしたが、

その重篤な患者さんの隣の部屋では、
認知症の高齢者や、

精神疾患の方が
これまた専門病院に行く間、

看護を受けていた。
ある意味、

野戦病院だった。
なので、

とにかく、
勉強をした。

観察力も鍛えられたし、
癌の末期の方もいらしたから、

ホスピス的なことも
行うという、

なんともハードな
経験だった。

でもお陰で、
看護婦としての

基本的なことを全て学んだが、
結局やめてしまった。

のだが、
それらの知識は、

現在、
沢山の家族を支える知識になっているし、

看護婦として
後輩を育てたことは、

私の今の仕事の
基礎になっている。

そして、
面白いのは、

看護婦時代から、
私はその野戦病院的な忙しさが好きで、

救急車が
何台も次から次に来ると、

頭と体を全回転させて、
そりゃあもう、

大活躍をした。
そーいうのが、

好きなのだ。
先輩の看護婦さんからは、

『それは看護の本質とは
関係ありませんね!』

と言われたが、
全くその通りで、

だから、
職がかわっても、

さー忙しいわよ!
状態が大好きだった。

今は、
現場など社員に任せ、

実務から離れているが、
NPOをやったり、

LLPを作ったり、
あーだのコーダのやってるから、

基本、
専門病棟より、

野戦病院むきなのかも
知れない。

人間の寿命は
動物学的にいうと126歳まで

生きられると昔聞いた。
ならば、

60代は
人生半ばである。

人生は面白い。
これからも楽しんで生きたいと

思っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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