日刊せみなりーBLOG

神の島?

更新日:2020/03/23

神様はいる!
と、

信じちゃうような
出来事が結構あるが、

今年度の仕事の中での
神様はいる!は、

利尻島の仕事だった。
とても個人的な神様なのだが。

その仕事の現場は利尻島だけど、
発注者との打ち合わせは、

稚内。
なので、

前日に札幌を出発し、
夜に稚内入り。

朝1番で打ち合わせをして
10時頃のフェリーで利尻に渡り、

現地を見て、
すぐにフェリーで稚内。

そして、
札幌へ。

と言う
結構な強行軍だった。

私は運転免許を持たないから、
運転はねあかのT君一人。

いくら
フェリーの間は運転をしない、

と言っても、
よくぞ頑張ってくれました!

だが、
なにが良かったって、

天気が最高だった。
真っ青な空、

風は微風。
何月だったか忘れたけれど、

寒くなくて、
甲板の椅子の上で

私は海を見、
ねあかのT君は、

フェリーの手すりに
寄りかかりながら、

海や波を見ていた。
利尻に向かう時は

離れていく稚内が
誠に美しく、

そして、
近づいてくる利尻島と

礼文島が
これまた美しい。

海の中から
富士山が顔を

出したかのような
利尻島は神秘的で、

それとは
全く形が違う礼文島も

不思議な力があった。
利尻島での時間は

どのくらいだったろうか。
2時間くらいかな。

お昼を食べる時間もなく、
再びフェリーに乗ったが、

海はまだ荒れていなくて、
青空の下、

離れ行く利尻礼文に
これまた感動だった。

とにかく
海が静かで

全く荒れなかった。
で、

もう少しで稚内、
と言う時、

あれ?
あれはサハリン?

そうなのだ。
めちゃくちゃ晴れていたから、

サハリン、
昔の樺太のトン崎と、

その横の小島が
見えたのだ!

これは本当に
珍しいらしい。

私の父は
樺太出身。

豊原というところで
生まれ育ったが、

敗戦後、
ロシアに抑留された後、

そう時間を取られずに
北海道に戻ることができたようだ。

私が小さい時は、
よく樺太の話をしてくれていた。

多くが、
どれほど寒かったか、

だったような気がする。
私にとっては、

その話は、
昔話のようなもので、

へえええ
みたいな感じで聞いていたけれど、

大人になり、
ふるさとを考えるようになると、

父や叔母祖父母が
どれほど辛く、

そして、
懐かしく樺太を思うか、

わかるようになってきたが、
それでも、

すぐ行ける所ではないから、
話の中の場所。

でしかなかったのだ。
でも、

甲板の上から
樺太のトン崎を見たら、

なんだか自分の
ふるさとを見たような、

そんな感動を覚えた。
見ただけで、

父や祖父母に逢えたような
気もした。

その後の利尻の現場には
私は行かなかったが、

何度行っても、
海が荒れて、

ねあかのT君始め、
みんな船酔いで

大変だったらしい。
そーだよねえ。

島だもんね。
きっと神様が

私に樺太を
見せてくれたのだと

思っている。
今年度一番の

感謝な出来事だった。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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