日刊せみなりーBLOG

父の命日に

更新日:2020/08/14

8月14日は、
父の命日だ。

年を重ねるとともに、
誕生日よりも

命日が増える気がする。
特に8月は、

10日が従兄弟の命日、
14日が父の命日で、
19日が義母の命日。

お盆付近に集中。

父は、
一年半くらい寝込んで

あちらに行った。
気管切開をしていて

話せなかったけれど、
どうも看護婦さんとは

口パクで話をしていたらしく、
結構人気者でいたらしい。

初めは、
肺炎で入院していたけれど、

ある日、
病院で、

脳動脈が破裂し
中村脳外科に転院した。

とても辛そうだったけれど、
私たちが思っているより、

ずっと理解力はあって、
話せないだけのようだった。

父が倒れた頃は、
バブルが弾けた直後で、

公共事業一本の
父が創業し、

夫が社長になっていた会社は、
売り上げが30%まで落ちて、

先行きの見通しもなく
苦難の時だった。

父が倒れる前の年は、
会社は大きく赤字。

父は、
頑張らなくても良いぞ。

と、
話してくれたが、

夫もそうはいかない。
で、

次の年は、
だった150万だったけれど

黒字になった。
父の耳元で、

わかるか、
わからないか、

わからないけれど、

『お父さん、
150万だけど黒字になったよ!』

と言ったら、
気管切開で出ない声を振り絞り、

顔を真っ赤にして
父は泣いた。

余程、
嬉しかったのだろう。

それから一年ほどして
父は亡くなったが、

いつ書いたのか、
多分まだ肺炎だった時と思うが、

遺言を残していた。
自分の葬儀に関することだ。

家族葬にすること。
新聞の死亡欄にも載せないこと。

葬儀から1週間経ったら、
道新にお知らせの広告を

載せること。
などが書かれていて、

新聞に載せる文章も
作ってあった。

父が作った会社は
夫が経営しているし、

本当は
普通の葬儀にしたかったが、

遺言なので仕方がないと、
親類と社員だけ見送った。

それでも
結構な数にはなったが、

友人が多い父だったから、
普通の葬儀をあげればよかったと

今でも心残りである。

それから月日が流れ、
夫と私は、

経営者の勉強会に参加し、
一生懸命仕事をした。

おかげで、
累積赤字は、

全て無駄にすることなく
消化し、

父が残した内部留保を

もっとプラスにすべく
夫は奮闘中だ。

父が会社を作ってくれたおかげで、
私は経営者の端くれになれ、

普通ならば
できないような経験をさせて貰い、

多くの素晴らしい人たちと
知り合うこともできた。

今年の命日は、
釧路で迎えた。

義父母のお盆参りである。

家の父の写真の前には、
母の実家、

岡山から
送られてきたマスカットも

供えた。
先に逝った愛する人たちを

ここまで懐かしく
寂しく思うお盆も

初めてである。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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