日刊せみなりーBLOG

小樽について

更新日:2017/06/12

昨日、
小樽芸術村で行われた【小樽を学ぶ】

に参加した。
今月の勉強会は、

『小樽のまちづくりと
景観、運河の保存運動とそれ以降』

という難しいテーマで、
お話をされたのは、

小樽の有名蕎麦屋薮半の店主
小川原さんだ。

これぞ!小樽の男!
の代表のような方だ。

私は
小樽の古い建物を活用し、

残すことによって
小樽の活性化を図るNPOを作り、

活動をしているが、
いつも不思議だったのが、

運河保存運動をされて来た方々が、
『敗北した』と言うことだった。

いえいえ、
運河は残され

それに寄って
観光都市になったではないですか。

といつも言っていたが
食い違う。

はて、
なんでだろう。。。

と思っていた?が
昨日のお話を聞いて

納得をした。

運河保存運動は、
小樽の盛衰の歴史の中で

『運河を埋め立てて6車線道路を作ろう!』
という計画が起きたところから生まれ、

その運動の変遷は市民運動としては
珍しいと思うが、

そこを書き出すと

すーーーーーーんごく
長くなるのではしょる。

で、
結論は

小樽運河保存運動は分裂解散をし、

今の半分埋め立てた道路が
できたわけだが、

その後、観光客は
勝手に来始めたと言うのだ。

運河保存運動と連動して17年間行われた
ポートフェスティバルが

全国に広がり、
それと共に小樽運河の素敵さが

伝わって
小樽に観光客が来始め、

それから
北一ガラスなど

古い建物を生かした店が
出来てきたという。

今のようにネットなどないから
17年間の口伝えだ。

へえええ
とそこにも驚いたが

小川原さんのお話を聞きながら
私がいつも感じている【小樽が持つ人格】

を思った。
私は小樽には人格があると思っているが、

その人格は
【小樽の数奇な運命】によって

つくられてきたもので、
まるで、人間のようだ。

街にも運命があると
稲盛和夫氏は著書の中で書いているが、

小樽はまさに
その代表的な街で

そして
そこで暮らす人たちが

より良い街にしたいと
動き出すことによって

運命が良い方向に
変わっていく。

今の小樽を見ていると
そんな気がしてくる。

運命は宿命ではないから
変えられると言うが

街にも
運命があるなら

やっぱり
良い街にしたいと熱く思う人たちが

行動を起こし
諦めずに努力をしたら

街は生き返るという見本が
小樽のような気がする。

もし、
小樽の運河保存運動に

興味を持たれる方がいらしたら、
是非、薮半を訪ねて欲しい。

超人気店で
休日は外までお客さんが並んでいるが、

風情ある建物で頂くお蕎麦は美味しいし、
小川原さんがおられたら

お話をして下さるかもしれない。

街の運命は、
どんな人たちが街に関わるかで

決まっていくと
実感できると思う。

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