日刊せみなりーBLOG

小樽の魂?

更新日:2017/08/17

我が家では、
土曜の夜、夫婦での一時は、

【寅さん】と決まっている。
何回も見た回もあれば、

あ!私、これ、初めて!
の回もあるが、

若かりし船越英二と
浅丘ルリ子が

寅さんと小樽に行く15作は
初めて見るものだった。

ちょうど、
小樽につくったNPOで、

石蔵シンポジュームを
企画した直後だったから、

あら!と見ていたら
昔の運河と石造倉庫群が

映った。
まだ、今のような観光地ではなく、

運河も大きく、
倉庫群もごくごく普通にあった。

私はこのシンポジュームの為に
小樽をこよなく愛する方々と

打ち合わせをした時、
初めて、

小樽の運河保存運動は、
この石造倉庫群を残そうと始まったものだと

知った。
運河ばかりが取りざたされ、

その運河に今は観光客が
多く来て下さるが、

もともとは、
あの倉庫群を残したかったと言うのだ。

私は、
小樽が好きだ。

小樽には、人格があると思うし、
人間が持つ精神性を、

街自体が持っていると
思っている。

坂と建物と自然と歴史。
その全てが、

小樽という不思議な魅力を持った街を
作り上げている。

でも、
石造り倉庫群も石蔵も、

その中のひとつだと思っていたのだが、
どうもそれは、少し違うようなのだ。

1970年代初め、
小樽の人たちは、

なぜ、あの石造倉庫群を、
残したいと思ったのだろうか。

山田洋次監督が映し出した、
橋と運河と倉庫群。

寅さんが
『こんな古臭い街のどこがいいんだ。』

と言ったけれど、
山田洋次監督は、

その言葉に、
全くの逆の意味を込めたのだと思う。

私は残念ながら、
昔の運河と倉庫群を知らない。

街を二分し、
今でも市民の記憶に濃い、

【運河保存運動】は、
多分、小樽の人たちの、

魂をかけた運動だったのだろう。
それは、

石造倉庫群を守りたい運動であったわけで、
私は、そこに、

【小樽の魂】があり、
そして、

それは、
【人間の魂】を感じさせるものでは、

なかったのか?
だから、

山田洋次監督は、
あの橋から運河と倉庫群を

映したと思うのだ。
きっと、それは、

そこに立った人だけが
感じられる魂だったのでは、

ないだろうか。
そうでなければ、

知事まで動くような大きな運動には
ならなかったと思う。

シンポジュームでは、
小樽の現存するすべての石蔵、

石造倉庫群を調査した、
竹内さんのお話もある。

竹内さんは一人で調査をしたのだが、
竹内さんを突き動かしたものは、

なんだったのか。

うちの会社は、
補償コンサルタントで

運河保存運動の、
ある意味対極にある会社だけれど、

街が持つ魂を感じる事に、
この仕事の持つ深さも知るのである。

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