日刊せみなりーBLOG

経験が30年後に花開く?

更新日:2018/06/02

本日は土曜日、
会社中みーんなおやすみ。

なので、
私もハリマオウN社長も、

おやすみ。
会社なので色々あり、

バタバタとした数週間、
都合で休日出勤の社員がいると、

ハリマオウN社長も私も
仕事がなくても、

落ち着かず、
出勤することも多い。

時代の流れもあり、
残業は減らして、

効率化をし、
みんなで休むときは休む!

が、目指すところ。
だが、現実は、

キャハ!マジ?がーん。
もあって、

上手くいかず、
なので、

みんながちゃんと休める休日は、
正直、ホッとする。

が、
創業者の父の頃は

違った。
父は、70歳を過ぎてからは、

経営に口を出さなかったが、
会社の隣にある実家の

父の書斎から会社を見ては、
『遅くまで電気がついていると、ホッとする。』

と、言っていた。
創業者としての父の、

その気持ちもよくわかる。
が、時代は大きく変わったのだ。

今月の26日、
会社は、40周年を迎える。

北海道職員であった父は、
53歳で起業した。

そのまま定年までいた方が
安定した老後が保証されていたと思うが、

父は起業を選んだ。
ノー天気な私は、

へええ!
程度の感じ。

まさか将来、
夫が社長で

自分が支え役になるなんて
夢にも思わず、

看護婦の道を邁進していた。
その道も色々あって、

上り坂下り坂まさかの坂、
いやはや、

もっと落ち着いて
普通に生活はできないものか?

状態だったが、
その分、

色々な経験を積むことができた。
もちろん、

病気や看護に関する知識も
いっぱい増えたが、

それだけでなく
若い未熟な看護師たちをまとめること、

仕事ってなんだあ?
仲間ってなあんだあ?

を、
一緒に考え行動すること、

仲間を愛すること、
そして、

働きがいのある職場を作ること、
をたくさん学んだ。

のに、
看護婦を辞め、

手伝いのつもりで入った会社を
経営する立場になった。

時々
なぜに私は今ここに?

状態になり、
何のための看護婦の15年だったのか?

と思うこともあったが、
今になって、

看護婦の15年間は、
今のためにあったのではないか?

と気がついた。
ただし、

昔可愛がっていた後輩は
みな、女性だったが、

今は男女がいる。
仕事は違うが、

仕事をする!は、
一緒だ。

仲間を愛することも
仲間を大事にすることも

一緒だ。
仲間といっても

仕事を一緒にする仲間だから、
サークル仲間とは違う。

色々あるけれど、
ふと、昔を思い出す。

仕事も違い
世代も違うけれど

人間の心は一緒だ。
看護婦でできて

今できないはずはない。
昔学んだ後輩育て、

もう一度挑戦しようと
思っている。

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