日刊せみなりーBLOG

家というものは。

更新日:2018/06/03

日曜日の恒例行事は、
93歳の母を夫婦で訪ねること。

介護付きマンションなので
食事も掃除も心配はないが、

寂しいようだ。
それでも、

『芳ちゃんが会社をやってくれてるから、
嬉しい。』と言ってくれる。

ここのところ、
会話は連休に行った岡山のことだ。

母の実家を訪ねたのだが、
いつまでも懐かしく、

それとともに、
帰りたい気持ちが募るらしい。

母は、
自分の父親が建てた家で生まれた。

祖父は、大工だったようで、
今でも、その家はしっかり残っている。

築100年は
優に越えているが、

いとこが手を入れているので、
今のところ、建て直す必要はない。

優しい従兄弟のお嫁さんが
家も守り、

仏壇も守ってくれている。
お陰で、

親族が集まって
楽しい時間も共有できたが、

その従兄弟たちも
その家で生まれ、育ち、

そして、
すぐそばの宗忠神社で

結婚式を挙げた。
核家族化が普通の世の中で、

すごいなあと思うが
岡山市内の話だ。

つくづく
93歳で帰る実家が

存在していることに
驚くが、

従兄弟のお嫁さんが
守ってくれている事が一番の感謝だが、

もう一つ
建物そのものが、

残っているという感謝もある。
思い出が存在しているって、

やっぱり
すごいと思うのだ。

先日行ったクラス会でも
親の家の話題が多く出た。

北海道では
私たち世代が核家族世代の走りだ。

同じ札幌にいても
同居はせず家を建てた。

完全二世帯もあったけれど、
殆どは、別居。

結果、
親の建てた家は空き家となり

国家の一大事にもなっている。
補償で調査に入る家でも、

空き家で登記は亡くなった方のまま、
という家も多い。

高度経済成長の中では
将来、

まさか団地ごと
空き家になるなんて、

想像もしていなかった。

でも、
マチが生きていると、

空き家になった家も売れて
生き返る。

本当は、
岡山の実家のように

引き継がれて
100年以上使われて行くのが

理想だけど、
実際はそうもいかない。

ならばせめて
自分の育った家が

どなたかに使われて
息づいて欲しいと思う。

自分が生まれた家で
お仏壇に手を合わせる母は、

幸せそうだった。
口を開けるたびに、

岡山に帰りたい。
札幌にいても寂しい。

と、
言われることには閉口するが、

家も仏壇も
守ってくれている従兄弟のお嫁さんに

感謝しつつ、
この歳になって、

『家』に宿る魂みたいなものも
感じている。

残せるものなら
残して使いたい。

夢に近い希望である。

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