日刊せみなりーBLOG

ちょっと寒そうだけど

更新日:2019/12/04

実家の取り壊しが
本格的に始まっている。

うちの会社に
こられた方はご存知だが、

うちの会社は、
実家の奥にある。

補償セミナリーの創業者である父が
まだ北海道職員だった時、

川沿にたっぷりの土地を買い、
その一番手前に自宅を建てた。

まだ藻岩高校も出来立てで、
南区体育館もなかった頃だ。

土地代も安かったのだろう。
広い土地の一番奥を恩師に分け、

真ん中は空いていたが、
自宅で開業した会社が大きくなり、

その空いた土地に社屋を建てたのだ。

自宅が会社だった時の名残で
自宅の車庫には大きく、

補償セミナリーと
書いてあり、

カッコマンH君が
新卒で面接に来た時は、

間違って実家に入ってしまった。
うちの会社で、

実家の応接間に座ったただ1人の
社員かも知れない。

だから、
会社の前に

ずっと実家はあった。

会社へ入る道が狭いのも、
元々沢山の車の出入りを

想定していないからだ。
おまけに電信柱もあって、

結構な難所だ。
特に冬になると、

まるで入るな!と言ってるような
道になる。

でも、
それも、

もうすぐ終わる。

実家には、
足場と緑の養生網がかけられ、

寒い中
職人さんが取り壊し作業に

追われている。
で、

その緑の養生網で気がついたことが
ある。

それは、
我が家のマンションから

実家が見えることだ。
私たち夫婦が今のマンションに引っ越して、

25年がたつ。
その間、毎日のように

ベランダの窓から東を見ていたが
実家が見えるとは全く気がつかなかった。

もちろん、
見えるといっても、

二階の屋根の下くらいのところだけだが、
マンションが斜面に建っているので、

ちょうど、
目の高さと重なるのだ。

つくづく、
私は親の近くで暮らしていたのだと

思った。
初めて買ったマンションは

実家、会社の横のマンションだし、
次に移った今のマンションでさえ、

実家が見えるとは。
これを親離れしないと見るか、

親孝行と見るかだが、
私は、

親孝行と考えることにした。

看護学校の時
3年くらい親元を離れたけれど、

あとは
スープの冷めない距離を

保っていた。
嫌な顔を一つせず、

付き合ってくれた夫に感謝だ。

父がつくった会社は、
その夫が継いでくれた。

そうそう、
会社の横のマンションに住んでいた時は

居間から会社が見えたから、
雪が降れば夫がいの一番に雪かきをし、

誰よりも遅くまで仕事をして、
会社の電気を消す役だった。

そういえば、
実家の父の書斎から会社が見えるから、

会社の電気が遅くまでついていると、
父は安心してたみたいだ。

忙しいのだなあ。と。

そんな、
会社が生まれた実家も

もうすぐなくなる。
なんだか、

これからが
本当の独り立ちのような気がする。

本日は大雪。
取り壊し中の実家も寒そうである。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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