日刊せみなりーBLOG

着物も歴史!

更新日:2019/12/06

秋から、
着物を着る機会が増えた。

結婚式に着て行った時は、

『バーのママが、
つけを取りに来たのかと思った』

と、
夫にからかわれたが、

次は祝賀会だったので、
目立たないように目立っていた。

なぜ着物を着るようになったのか、
と言えば、

実家を取り壊す前に
整理をしていたら、

色々着物が出てきたわけで、
叔母の形見もあり、

突然、
着物持ちになっちゃったわけだ。

着物は、
家以上に邪険にできず、

まあ、
それじゃあ着ますか。

みたいな感じになったのだ。

で、
毎回着付けの先生のお世話になるが、

お陰で、
着物の耳学問が増えた。

何がびっくりしたって、
今は、中学校の家庭科の時間に、

着物について
の授業があると言う。

着物の歴史から始まり、
たたみ方、

そして、
浴衣は一人で着れるまで、

授業でするのだそうだ。
ひえええ!

でも、
たしかに、

着物は日本の民族衣装だもの、
そのくらいあっても当たり前かも

知れない。

そうそう、
死装束で着る着物と

生きている人が着る着物とでは、
違うところがあると言う。

それは襟。
当て布といったかしら、

メモらなかったから
すぐに忘れる。

全くだが、
襟にとも布を当てていて、

昔は汚れると
そこだけ外して、

洗っていたと言う。
亡くなった方に着せる時は、

もう汚れることはない。
ということで、

その当て布がない。
うーん、深いなあ。

着物の形が
今のようになったのも、

江戸時代くらいかららしい。

そう言えば、
小樽の歴史を学んだ時聞いた話では、

小袖を含む着物は
昔は麻でできていて、

冬はそりゃあ
寒かった。

ところが、
小樽で鰊漁が盛んになって、

鰊で肥料を作るようになると、
日本でも綿花が栽培できるようになって、

木綿の着物を
庶民も着られるようになった。

と言うのだ。

ふーむ
歴史って面白い。

それにしても、
麻の小袖じゃあ寒かったろうな。

今じゃあ、
冬はダウンを着て、

ロングブーツを履いて歩き、
家の中は、

どこも暖か。
だもんね。

で、
明日、

私は着物を着て、
小樽の旧寿原邸という素晴らしい邸宅で

小樽の歴史を聞き、
小樽を舞台にした新落語を聞く。

ただし、
こちらの建物は現在使用されておらず、

小樽市の管理下にあり、
ストーブは補足程度。

まさに、
昔の生活スタイルに

着物で挑戦するわけだ。
でも、

当たり前に麻ではない。
今じゃあ麻は夏の高級品になっている。

趣ある旧邸宅に
着物でお呼ばれがコンセプトだ。

歴史ある日本家屋には、
着物が似合うはず。

小樽の歴史を落語で聞きながら、
華やかしき時代の小樽に、

身を置いてみようと思っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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