日刊せみなりーBLOG

ふるさとは

更新日:2020/01/08

所用で大通りを通ったら、
雪まつりの雪像のところだけに、

雪があった。
あまりに周りに雪がないから、

何か不自然なほどだ。
新聞によると、

雪は
京極町や倶知安町から

持ってきているらしい。
へえ、

そっちには雪、
あるんだ!

と、
妙な驚き方になる。

倶知安や京極に
雪が降らなかったら、

それこそ、
地球は超ヤバだ。

お正月に帰省していた、
愛知に住む長女も、

雪が少ないことを
残念がっていた。

やっぱり冬の札幌には
雪がなくちゃあ。だ。

長女が愛知県に行って
気がつくと、

20年以上たった。

『うん、
愛知で暮らしている時間の方が、

長くなった。
施設の利用者さんからは、

Oさんはもう三河人間じゃあ、
って言われるの』

長女は愛知県で介護士を
している。

大学から北海道を離れると
40を待たずに

ふるさとより
長くそっちにいることになる。

長野の次女も
同じである。

でも、
私の中では、

長女も次女も
ずっと北海道の人である。

ふと、
母親のことを思った。

22歳で父と結婚し、
岡山から北海道に嫁いできた。

今、95歳だから、
どう考えても北海道の人でしょう。

と、
今まで思ってきたのだけれど、

母は、
会うたびに

岡山に帰りたいと言う。
それが不思議でならなかったけれど、

もしかして、
ふるさとって、

そう言うものなのかも
知れない。

若い時は
あまり深くは考えず、

就職を決めて
新天地で生活を始める。

そのうち
好きな人ができて結婚をし、

新しいふるさとを
つくる。

と、
思ってきたけれど、

長女にとっても
次女にとっても、

いつまでもふるさとは
札幌なのだ。

それは、
今が幸せでも、

いつでも帰りたい場所が
ふるさとなのだ。

もっとも、
私は札幌生まれの

札幌育ち。
看護学校の3年間だけが

室蘭だったが、
それ以外親元を離れたことがなく、

それも、
半径スープが冷めない距離だ。

だから、
ふるさとへの気持ちが

わからないのかも
知れない。

母が
岡山に帰りたいと言うたび、

こんなに娘や孫たちに
愛されているのに、

なぜ後ろ向きなことを
言うのだろうかと、

思ってきたが、
実はそう言うことでは

ないのかも
知れない。

私は、
小樽のマチづくり運動に

関わってきたが、
そこで面白いことを聞いた。

北陸から小樽に渡り、
巨万の富を築いていた昔の商人たちも、

死ぬ時は故郷に帰って死にたい。
と、言っていたというのだ。

それは当時の小樽が
まだ未開のマチだったからか、

と思ったが、
もしかして、

そうではなく、
いつの世も

ふるさとは、
永遠に帰りたい場所、

なのかも
知れない。

小樽では
その豪商の子孫たちが

小樽のマチをつくり、
小樽がふるさとになっている。

うちの愛知や長野の孫たちも
それぞれの場所がふるさとだ。

今年も
95歳の母を岡山に、

連れて帰ってあげたいと
思っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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