補償セミナリーライブラリBLOG
『わたしの歳時記』 ~水無月編~
更新日:2007/02/09
自然光の中での目覚め
六月、暦の上では一年の半年目に突入する事になるのだが、数字的に考えるのは私の性に合わない。
やっと北国の緑の息吹が胸を広げる季節。生命あるものすべてがその生命を謳歌している様が目に映る。北海道らしさ一杯のこの季節。
夕べの徹夜の事さえ忘れ、6時ともなれば自然に目が覚める。決して老化現象ではない。なぜなら、寝室には、人並みにレースと厚地のカーテンをセットにして備えつけてるが、1年中この厚地のカーテンだけは閉めたことがない。四季を通して自然の夜明けの明かりで目覚めたいからだ。
旅先であってもこの習慣は守るから、消灯時には必ずカーテンを開け、就寝。
だから、夜明けの時間に合わせ、冬の起床時間は遅いし、夏とともに早くなる。
現役時代、冬の通勤の苦しさはここに原因があった。
眠りのりズムを、大きな音を出す目覚ましで破壊する様は拷問に近いものがあった。
通常の勤勉なサラリーマン(レディー)には、ひんしゅくを買う事になる。
「季節はずれの早起きは命がけだョ」よくボヤいたものだ。
職場から3分の処に家があったらナ…と、真剣に憧れたこともあった。
退職時、最後の我*?とほざき、4月10日9時、同期の退職組から一人はずれて辞令交付を受けた。
その朝、まだ明け切らない中で快調な目覚め。
通勤電車から解放される喜びを独り占めし。8時半には登庁し、待機室にいた。
部長秘書が入れてくれた一番茶。「あァー。今日からはお客扱いだ…。」頬が緩んだ事をしっかりと思い出す。
「朝起きれないなら夜早めに寝たら‥」と促されるが、そうはいかない。
世の中の人々が眠りについたこの時間こそ、ゼ~ンブ私だけの時間。このぜいたくな時間を失ってなるものかと、何をするという事がなくても、光光と灯りをつけぼんやりと過ごすのが至福の時間。これが冬の雪積む夜ともなれば、この至福さが倍増する。
さて、心臓を脅かす音がなくても心地よい目覚めを迎える6月。
わが家の愛猫の額よりは少しばかり広い庭。命を謳歌する雑草が盛んに活動している。
「雑草と言うものの芽も命かな」「ゴメンネ。あんたが今ここに居座ると少しばかり都合が悪いの」といいながら畑の草むしり。
誰かに見られていれば奇異に映るだろう。「年寄りの独り言」…。
どう映ってもいい。「草と語らう草むしり」、これが私の「水無月の歳時記」のひとつ。
職住接近
憧れた「職住接近」。いま、その真っ只中にいる。
わが家の裏にある社屋、出社所要時間2分。入社以来、出勤時間なるものとは縁がない生活。いまや、それすら煩わしく、社屋が手狭になった事を口実に、わが家の通称「ハーブの部屋」に立てこもる。呼び出しがかかるか、話し相手が欲しくなれば出社するという気ままな生活。
だが、人間の欲望には限りがないと見え、この「ハーブの部屋」が二階である事、窓から目に一杯の緑が映らない事が少々不満。
札幌駅北口に形成されてるサッポロバレー街。TVに映る若者のラフなTシャツ姿。
都心から離れた田舎で、窓辺に移る木々の緑に包まれて、コンピュータに向かうサラリーマンの姿。これが21世紀の仕事人のひとつの姿なのかも。
勿論、外に出なければならない仕事もあるが、「住」そのものが「職場」となる層が増えた時、「通勤ラッシュ」の言葉は消えるかもしれない。
子供たちもコンピューターで自宅学習。伸びやかに通学できないという問題も、消えるかもしれない。 しかし、問題は、体力増強と対人関係の作り方。
今でも欠落しているこの問題、家庭と地域がこれを埋めて行かなければならないのだろうが、果たしてその条件はあるのだろうか。
まづ、「在宅勤務」となれば、いや応無しに自分の住環境・地域環境に目が行くことになる。
コンピューターで疲れた目を癒す緑の必要性は、衆目が認めるところ。
老齢少子化に応える公共施設、緑化はもとより、共通の空間。
職住接近から夢見る21世紀。夢が現実になってきた過去の歴史に立てば、まんざら実現不可能ではないと、手狭な社屋のため、在宅勤務を強いられた窓辺の風景を見ながらほくそえんでいる。
新しい「まちづくり」。その担い手は、経験豊富な、時間もタップリある、知恵者、「シルバー」の出番かもしれないと思いつつ。
公共事業の見直し
霞が関ではやっと公共事業の見直しを口にするようになった。現役時代の大半を「公共事業の用地取得業務」に携わってきたが、現地で直接この業務に当たる仕事仲間の苦労を見るにつけ、いつも「事業の目的そのものに説得力があれば、苦労がむくわれる」と叫んでいた。一方、対人関係をこなすこの仕事には、公務員の誇りさえ感ずるほどの魅力と達成感もあった。
第二の仕事もこの延長線上にあるわけだが、社会情勢の変化に対応を迫られてもいる。しかし、公共事業が0になるわけではない。社会資本の整備は老齢化・少子化なればこそ急がれる訳で、新しい形の公共事業が進められなくてはならないはず。
情報化社会・国際化社会を背景に、「真の社会資本整備」が今後の課題であろうと思うが、これが難問。考え方を明確にし、情報公開の中で資本整備を図るには、一極集中型では実現できないだろう。
ここに登場するが「地方の時代」であり、住民パワー。
ベットタウンからの脱却を図り、「在宅勤務実現」の視点からわが地域環境を考えてみれば、「真の社会資本整備」の姿が見えるだろうと思う。
先日、10年ぶりに上京する機会があった。もともと、コンクリートジャングルの東京は好きではないが、「地方公務員等ライフプラン協会」主催の「海外協力活動参加促進シンポジウム」なるものが開かれ、海外ボランティア体験を語れという案内。
海外研修アシスタントとしての乏しい経験しか持ち合わせないが、「一歩前に出る勇気があれば、きっと何かが生まれる」の実践・・・と思い引き受けた。
せめて、新しい出逢いがあればそれでいいとの思いは、かなえられた。
久々の上京を機に、所沢に住む学友に「小さな旅」を誘った。
彼女は、ここ5年ほど前から右半身が不自由になり外出を控えていたが、彼女も思い切って旅に出ることを決意してくれた。
私が名付けた「花と競う旅」。~花よりも艶やかなるを知る旅路~のサブタイトルを付した房総半島の旅。「ゆっくり・ゆっくり」「無理をしない」をモットーに、彼女の足をかばったつもりの旅であったが、終わってみれば私自身の研修の旅だった様だ。
まず東京駅、継ぎはぎだらけの工事の*物。駅地下商店街の体裁はまずまずとしても、階段には手摺り一つ無い。京葉線は案内板は整備されていても遙か彼方。しかし新しいからエスカレーター・動く歩道は完備されている。元気な私はこれでよしと思ったがこれが大間違い。「ご利用の片は右側にお立ち下さい」の案内が添えられている。
彼女は右半身が不自由なのだ。右によると力のバランスが崩れるのだという。
「左でいいよ。私が後ろでガードするから」と声をかけ、長いながいエスカレーターを利用。動く歩道にも同じあんなにがある。無論彼女は左側に位置を取り、私は指示通り右に立ったが、その歩道を小走りに近づく軽装の青年。
右肩にかけた私の荷物を跳ね、左前に位置する彼女との狭い間をすり抜けていく。 思わず叫んだ。「足の悪い方かいるのョ。気を付けて!」
札幌にいても、このご時世にもかかわらず時々街で大声で注意をしている私だが、このときばかりは何時もより声高になった。
振り向きもせずに走り去る青年の後ろ姿を見つめながら、動く歩道は誰のためにあるものなのかと考えてしまった。
目的の館山までの列車。チケット購入時に事情を話していた為か、往復とも入り口付近の座席が確保されていた。久しぶりに駅弁を買い、2時間の旅は修学旅行を思わせた。
東京から千葉、蘇我あたりまでは空気の汚れが車窓からもはっきりと見える。木更津を過ぎるあたりでやっと透明感が確認できる様になる。人間のたくましさと言うには余りにも悲しい住環境を見た思い。
終点館山駅での利用客はほどほどいたが、若者の姿は皆無。こ綺麗な小さな駅舎。ホームから二階の改札口まではエスカレーター。地上まではエレベーター。障害者用のトイレも整備されていた。
彼女と過ごした4日間、今まで少なくとも公共事業を推進する公務の端で過ごしてきた過去を振り返られずにはいられなかった。
道路の設計者に「車椅子に乗ってから道路の設計をしてみて」「街路樹のマスどうしてもなきゃ駄目?」「縁石が無ければ歩道と車道を区分できない?プロのドライバーはなくてもいいって」「雨降りに水のはけ口がないし、街路樹の根は干し上がってるし」等等、口を挟んだものだ。
用地取得が難しいことや、余暇を利用して参加した「まちづくり」の中で感じた私の声だった。しかし、一笑に付されてきた。
40数年来の友が、突然車椅子の生活になり、その車椅子から離れてみることを試みた友との旅。車椅子にとって上がり勾配より下りに恐怖を感ずるものであることも知った。弱者に優しい社会本整備こそ「真の公共事業」を求める「公共事業の見直し」に繋がるのではないだろうか。
財団法人地方公務員等ライフプラン協会のシンポジウムのサブタイトルには、~生きがいを求めて~とあった。
2001年はボランティア国際年。海外協力活動の参加も大切だが、公務員のOBとして、せめてまちづくりの活動で、ボランティアとして現役を支援するのも方策ではないだろうかと思う。
それにしても私の歳時記「水無月」は、「生命の謳歌」という大きなものを選んでおきたい。
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