社長ブログ:時にふれてBLOG
無私の心が人を動かす
更新日:2022/06/28
協会本部総会等があり一週飛びました。今週は56回目、142ページ「無私の心が人を動かす」です。Ktさんに読み合わせと感想をお願いしていました。
「共感できることをいっている。上に立つ人、先輩の人は、若い人を育てるため、自分の時間もとられますが、そうでありたいと思います。上の人が、自分の好みとか自分のためにとかを離れて、会社のためにと思って、部下に指示を出すとか仕事の内容を説明するとかで基準とできる人であれば部下もついてくる。人間として、昔の狩りのリーダーは自分でやってみせる力も必要です。それなりの立場を考えて行動すべきです。」との感想でした。私のコメントは次の通りです。
「人を動かす原動力は、ただ一つ公平無私ということです。無私というのは、自分の利益を図る心がないということです。」、 「リーダーは…私利私欲から脱却した、『自分の集団のために』というような大義に、自らの座標軸を置くべきです」と書かれています。『無私』についてネットで調べてみると、こんな書き込みがありました。
「ここで、2つのポイントが出てきました。
・自分をはなれ、自分をなくしたときに、そこに社会的に一番大きなものが出てくる
・自分のためにのみ使わず、お互いのために使う
自分をはなれ、自分をなくすとは?これは、自分の人格、才能、技術といった、自分を構成する「強み」を自分だけでとどまらせることなく、世のため人のために活用しましょう、ということです。自分のものでありながら、社会のモノ、公のモノになる、という感覚です。自分が持ち合わせているものをお互いに分け合おうというギブアンドテイクの関係になることが理想です。相互に無私である関係が、お互いに得られるものが大きく、精神的なつながりも良好になるのでいいことづくめです。
互いのために使う意義。無私の精神を実践することで、何かメリットがあるのか?ということですが、自分のモノを世の中のために手放す、すなわち「執着しない」という考え方は身に着きます。「私心がある」ということは、あるものを独占したいという欲の表れです。「あるもの」と言えば、さまざまなものを含みます。「お金」だったり「時間」だったり「楽な仕事」だったり「幸福感」だったり、有形無形を問いません。無私になる、ということは独占欲を手放すという、とてつもないメリットがあります。自分の所有物を独占しない。というとてもシンプルな考え方に集約されます。」とあります。もうひとつ、当社の経営アドバイザーの小椋先生が、よく話している「マズローの欲求6段階説」を考えてみますという書き込みがありました。
「通常、マズローの欲求5段階説はよく知られているところのものである。第1段階『生存の欲求』、第2段階『安全の欲求』、第3段階『愛と所属の欲求』、第4段階『承認の欲求』、第5段階『自己実現の欲求』とされている。ところが、晩年、マズローは第5段階の上にさらに第6段階を説いているという。それは、超我というか、社会貢献というか、世のため人のために尽くそうとする利己を超えた世界を言う。どうやら、人は一生懸命に努力し働いて、自己実現をすることが最終的な目標でない。利己を超えて利他の心で、世の中のために貢献することに生きる意味を見出すことが多いようだ。無私の心というか、利己を超えたところに特徴がある。そして、こうした生き方こそ、人としてこの世に生まれてきた目的であるように思えてくる。一生をかけて自己を磨き続けること。この終わりのない取り組みこそが人として生きる道であるように思える。こうした考え方にたち、組織も利己から利他へ。お互いに助け合い、高めあうような組織でありたい。」とのことです。