社長ブログ:時にふれてBLOG

判断のものさしを備える

更新日:2022/09/05

今週は第65回目、162ページ「判断のものさしを備える」です。Ogさんの担当でしたが、出張となり、事前に感想を提出してくれました。Hoさんに読み合わせと感想の代読をお願いしました。その感想文は

私が判断のものさしを備える上で、最も重要視しているのは単純で他の人でもすぐに理解できるものにすることです。「あぁ、あいつならそう考えるね」と他の人が想像つくようしておくべきであると考えています。若い頃、上司が癖の強い人で自分はいつも「なんでこんな判断をするのだろう?」「こんな事やってたら、儲かるものも儲からないよ」と思ったことが多々あったためです。上司には上司の経験があり、その経験則から判断の根拠を持っていたのでしょうが、私の人生は上司の人生ではないので、私にはさっぱりわかりませんでした。むしろ感情が判断のものさしになっていた感がありました。その経験から私はできるだけ、他の人が理解できるものさしを重要と考えます。アメーバで主体的に動ける組織の構築のためには判断のものさしがシンプルで他に浸透していく必要があると思います。企業人と家庭人では全然違いますが企業人としての私のものさしは、それが儲かるのか?だけです。シンプルに考えれば、企業が成長するためには去年より売り上げを伸ばし、利潤を上げればよいだけです。そのためには、その行動が儲かるのか?をものさしに判断する必要があると思います。藤田田氏の格言に「毎分、毎分判断してジャッジを下していく積み重ねが、大きな人生になっていく。成功する原因は自分がつくっているのである。その成功の見えない原因を人は「運」と呼ぶが、見えないだけで原因は存在しているのである。」というものがあり、若い頃大いに感銘を受け、企業人としてはかくあるべきと思い実践し積み重ねてきました。 家庭人としての判断のものさしは?猫と嫁の判断が全てのものさしです。家庭人の私は判断のものさしを持たないことがものさしです。』と提出してありました。私のコメントは、

「人生は、ひとつひとつの判断の集積で成り立っています。正しい判断…のためには、ものさしとなるべき哲学を持たねばなりません」、「その哲学とは、公正、正義、誠実といった、人間としての道理にもとづいた考え方のことをいいます。」と書かれています。

稲盛和夫OFFICIALSITEでは、『例えば、科学者は重要な測定を「目測」ですませず、ものさし、マイクロメーター、その他、基準となる測定手段を用います。同様に、常に正しい判断ができるようになるためには、リーダーにも「ものさし」のような判断の基準となるものが必要なのです。』。『正しい判断ができるようになるためには、「ものさし」となるべき誠実な人生哲学を持たなければなりません。 その哲学とは「人間として何が正しいか」に基づくもので、公正、正義、やさしさ、思いやり、調和、誠実さなどの言葉で表されるものを含んだものであるべきです。このような人生哲学を、毎日の判断のものさしとしていくべきです。』と書かれていて、別に「利他の心を判断基準にする」のフィロソフィーでは、『私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。』と書かれています。

稲盛和夫さんの追悼の記事で、この「フィロソフィ」と呼ばれる哲学を、『「人間として何が正しいか」を判断基準に、人として当然、持つべき根源的な倫理観や道徳観、それに社会的規範にしたがって誰に対しても恥じることのない公正明大な経営や組織運営を行っていく重要性を説いたものです。』と書かれています。稲盛和夫さんは、元塾長として、私たち元塾生の心の中で「永遠の存在」となりました。有難うございました。』と書かせていただきました。

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