日刊せみなりーBLOG

父を思う

更新日:2019/05/28

所用で、
大通り西18丁目に来た。

久しぶりだあ。
それも、医大側。

同じ18丁目でも
大通りを挟んで、

北と南では
雰囲気が違う。

北側は、
知事公館や近代美術館があり、

開発局などのお役所もあるが、

南側は
完全に病院群だ。

もちろん、
医大が大きいが、

それ以外にも、
NTT病院、大昔の逓信病院だ。

と言っても、
その名前を知らない人の方が多いかな。

そして、
中村記念病院に、

南一条病院。
それぞれに古くからある。

特に、
中村記念病院は、

父が長く、
入院していたところであり、

胸に響くものがある。
今日は、

その中村記念病院に
知人のお見舞いに来たのだ。

私の父は、
この補償セミナリーを起業した。

元北海道職員。
52歳で役所をやめて、

53歳で起業した。
父が中村記念病院に入院した時には、

すでに会長職も退き
顧問になっていた。

病気は重く、
気管切開もしていたので、

思うように、
言葉を発することができなかったが、

それでも、
看護婦さんたちと仲良くなって、

口パクで
色んなことを話していたらしい。

南の中村病院に転院した後、
父は数ヶ月で帰らぬ人となったが、

中村記念病院にもお礼に行くと、
担当だった看護婦さんが泣いてくれて、

本当に嬉しかった。

体が動かなくても、
言葉が言えなくても

その状態を受け入れて
前向きに楽しい時間を作っていた父は、

すごいと思った。

その時以来の
中村記念病院だったが、

思っていたより
一階の待合室が小さくて驚いた。

私は毎日、
仕事が終わると

父の見舞いに病院に通っており、

ハリマオウN社長は、
その私を迎えに来てくれていたが、

私の面会時間が長くなると、
夫は一人で一階の待合室で

勉強をしていた。
補償業務管理士の

関連部門を受験した時だったと
思う。

なんであんなに
待合室が大きく感じていたのだろうか。

人間は、
その時の心理状態で

広さまで、
違って見えるものなのだろうか。

今日見た待合室は
本当に小さく見えた。

病院の周りも
少し変わっていた。

auショップは
カフェになっていた。

中村記念病院の隣には
大きなメディカルビルが建っていた。

昔は何があったかしら。

あんなに通った場所なのに
覚えていない。

父が
全身が動かなかなくなり、

気管切開をしたのは、

私のせいでは
ないのだけれど、

私は、
どこかで自分を責めていたようだ。

16年ぶりの中村記念病院に、
偶然来て、

自分の心が少し見えた。
そして、

良い病院に入院できて、
父は良かったと思った。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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