日刊せみなりーBLOG

なんちゅーことか

更新日:2019/06/25

時が経つのが早すぎる。

今日は、
一本気Oさんと函館の旅。

お昼は、
ラッキーピエロで、

美味しいハンバーガー。
いやはや、

大口を開けても、
入りきれない大きさで、

役所用の
一着しかないスーツの上に、

マヨネーズを
ポタポタさせながら、

二人でおしゃべりをしていた。ら、
なんの話からか、

一本気Oさんが言った。

『僕が社会人になった時は
平成でしたから』

ええええ!!!!
嘘ー

一本気Oさんは、
今年49歳だ。

その年代で、
平成になって社会人。

そーしたら、
昭和の時代に、

社会人になった一番若い人は、
今いくつ?

単純に、
大学出なら、

53歳か。

私の中では、
平成は、

若い世代という感覚だったが、
違うのね。

なんだか
一本気Oさんが若い人に見えた。

で、
話は定年制に変わった。

『昔、60歳定年制になった時、
男性の平均寿命は70すぎだったよ』

私がいうと
『定年後10年ちょっとの寿命か』

と、
一本気Oさんがため息風に答えた。

『定年が55だった時は、
寿命は67、8くらいだった』

と、
私が続けて言うと、

一本気Oさんは、

ええええええ!!!
そんな定年、あったんですか!

と、
マジに驚いた。

え?
一本気Oさん、55定年を知らないの?

私の方が驚いた。

昔、美濃部都知事の時代、
60歳以上の老人医療費無料が

実現したのよ。
社会に貢献してきた老人の

医療費を無料にするって。
今、

60歳を老人と思う人は
いないでしょ。

そー言うと
一本気Oさんは頷いていた。

それにしても
時代の流れは速いと言うより

長くなったのかも
知れない。

昭和は大昔らしいが
その昭和生まれの私は、

孫はいるけど、
おばあさんになった気はしない。

そりゃあ
長く車に乗ってると、

腰が立たなくなるから
2時間に一回は、

車から降りて
トイレタイムは取るけれど、

自分のことを
老いたとは思わないし、

会社の定年も伸ばして、
働けるなら、

いつまでも
働ける会社を作りたい。

働いていると
苦しいことやこんにゃろう!

と、
思うこともあるけれど、

その分、
うまく行った時の喜びは

大きいし、
仲間と一緒の達成感は

なによりも
エネルギーになるもの。

だから、
一本気Oさんも

90歳になっても、
働けるだけ働いてよ。

と、言ったら、

90歳ですか!
きゃはははは!

と、
一本気Oさんは笑っていた。

が、
私もそうありたいと

思っている。
いつか、令和が終わり、

次の元号になった時、
昭和令和と、3元号で働いた!

と、
言えたら最高と思っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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