日刊せみなりーBLOG

お雛様は

更新日:2020/02/16

後悔をしないのが
売りの私だけど、

今の時期、
あー、

と思うのが、
実家のお雛様のことだ。

昨年末、
私の実家は、

傷みが酷くて
取り壊すことになり、

行きがかり上、
所有権のない私が

取り壊しの様々の
手はずを整えた。

まずは、
残置物処理という、

家の中にあるものを
捨てることだ。

今時は、
ものすごーい数の

業者さんがいて、
タイプも色々。

で、
実家は三軒分の広さで、

サンルームや納戸を入れたら、
20近くの部屋数。

押し入れやクローゼットを
考えたら、

プラス
10はあるだろう。

そして、
そこに沢山のモノが

詰まっていた。
姉や姪っ子に必要なものを

持って行って貰っても、
投げる方が多い。

あ、投げるって
北海道弁で捨てるの意味。

立派な神棚と祖父母の写真は
男性の従兄弟に持って行って貰い、

ホッとしたが、
あとは着物類と、

残しておきたい写真、
母が大事にしていた花瓶、

などを
我が家に持ってきたくらいで、

あとはほとんど、
捨てることになったが、

叔母の家でもあり、
叔母が世界中から

持ってきた装飾品や
叔母が書いた絵画など、

捨てるには
あまりにも心が痛むものは、

それらを
カンボジアで売っている業者に

持って行って
貰った。

カンボジアの人は
今そー言う装飾品を

買うのだそうだ。
それでも、

処分した品々は
膨大で、

処理代金も
膨大だった。

そして、
その時、

私にはもう一つ、
捨てたくないものがあった。

それは
お雛様だ。

姉が生まれた時に
祖父だったか父だったかが、

買ってきたものだそうだ。
まだ終戦間もない時に、

よく
お雛様を

見つけたものだと
思うけれど、

お内裏様とお雛様、
かなり立派なものだった。

三人官女や五人囃子は
その後、揃えて行ったと聞いたが、

嫁入り道具もあり
立派だったが、

私も含めて
みんな出て行き、

孫娘たちも大きくなると
何時しかお雛様は

飾らなくなった。
それでも、

叔母が元気なうちは
飾っていたが、

叔母が倒れてからは
仕舞われたままだった。

あのお雛様、
せめてお内裏様とお雛様、

だけでも、
残しておきたいと

探したが、
あると思った所にもなく、

ものが詰まった
膨大な部屋の中から、

それを探すことは
難しかった。

仕方ない。
と、

諦めたのだが、
すっかり家は壊され、

今、
基礎だけが残り、

春を待っている。
雪が溶けたら、

その基礎も壊して
整地になる予定だ。

それはもう良いのだけれど、
あのお雛様、

もっと探せば良かった。

我が家には、
そのお雛様の前で、

姪っ子と
我が家の娘3人が

並んで座っている写真だけが
残っている。

お節介の達人
マチづくりのご相談承り役 中野むつみでした。

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