補償セミナリーライブラリBLOG

つれづれなるままに

更新日:2007/06/03

幻冬舎出版、五木寛之の「林住期」が23万部を突破したらしい。
古代インドでは、生涯を四つの時期に分けて考えたという四住期。
現代の人生百年では、0歳から25歳が「学生期」よく学び、体を鍛える。25歳から50歳が「家住期」仕事に励み、家庭を維持する。50歳から75歳が「林住期」仕事を離れ、真の生き甲斐をさがす。75歳から100歳が「遊行期」自らの死に方について考える。
ホップ、ステップ、ジャンプ。林住期こそジャンプの季節なのだそうだ。
社会人としての勤めを終えたあと、すべての人が迎えるもっとも輝かしい「第三の人生」のこと・・・・だそうだ。
団塊の世代に向けた人生の書。あと3年もすると私は遊行期に入ることとなる。本屋の棚の前で買うべきか買わざるべきか躊躇した。林住期の賞味期限もあとわずか。いつも終焉の美学を語ってきた私にとって、このまま自我を通そうと思っていたが、さすが団塊の世代の姪、すでに手元にあるというので借りて読むことにした。
元来、本を借りて読むということの出来ない習性を持つため、本屋での躊躇を消すことが出来たこととあわせ、新しい経験をつんだような気がした。「林住期」と「遊行期」の狭間で、哲学的な悩みなどは影すらない。
せめて、欲望から離れた姿を目指す筈だったが、もともと欲望の元になるものを持ち合わせていないから、小さな世界で事足りることが解った。
とは言え、還暦を迎えたときに終焉の脚本を書く積りだったがこれが出来なかった。
古希を迎えた誕生日のチャンスも逃してしまった。終焉の準備とは難しいものだ。ましてやそこに、「美学」的要素を加えようとは、身の程知らずの戯言。
広げてしまった人生どう閉じるか。
いよいよ遊行期。
「無欲に明るく」をモットーに一つ一つ取り組もうと思う。
そこから又、何かが見えるはず。それを、つれづれなるままに書き連ね「私の遊行期」にしてみたい。果たして終焉の美学は見えるだろうか。

記事一覧