社長ブログ:時にふれてBLOG

あるがままに見る

更新日:2021/11/22

今週は84ページ「あるがままに見る」です。Mgさんにお願いしました。「良い意味で引っかかるところが沢山有ります。前文2行にある『真実とは』『事象とは』との言葉を調べてみました。調べてみて意味が深いと思いました。自分で何で見えないのか、若いときは中々非を認められなくなっていた。今の歳になって、中々こうだと言ってくれる人はいない。若い人から言われて、今は思う。『納得したい、説明したい』と思って仕事をしている。最後の方に書かれている『火中に飛び込む』も調べると、『他人の利益のためにやりなさい』と言うことでした。若い人のために勉強していきたい」と、今の自分の役割についての感想でした。私のコメントは仏教の話しから

「美しい、澄んだ心には、真実が見えます。しかし、エゴに満ちた心には、複雑な事象しか見えてきません」、「自ら血と汗を流し、危険を冒す気構えがあれば、どんな問題でも解決できるはずです。」と書かれています。

仏教の基本的な教えは、如実(にょじつ)知見(ちけん)、「あるがままを、あるがままに知る、見る(知見)こと」です。これを仏教では智慧(ちえ)ともいいます。すなわち悟りです。その「あるがままを、あるがままに知見すること」を妨げているものは「煩悩」です。その「智慧」が情的に現れた時、慈悲となります。慈悲を具体的にいいますと、殺さない、盗まない、嘘をつかないということです。(仏語。仏・菩薩 (ぼさつ) が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと。いつくしみ、あわれむこと。なさけ)

仏教寓話に、こんなお話があります。極楽の部屋と、地獄の部屋。どちらの部屋も食事が用意されています。ただしどちらも、とても長い箸を使わなければいけません。長い箸では、自分で食べようとすると、上手く口に運べません。
同じ条件だけれども、極楽の部屋は、和気藹々(わきあいあい)と楽しげに食事ができました。地獄の部屋は、ご馳走がそこら中に落ちてとんでもないありさま。なぜ違うのでしょうか。
それは、長い箸では自分の口に入れようとすることはできませんが、他の人の口になら入れられる。そうすると他の人も私の口に入れてくれる。こういう違いが、極楽と地獄にはあるという寓話です。違うのは自分勝手、自分さえよければいいという、自己中心的な集まりの集団か否かなのです。

仏陀がお示した四つの真理( 四聖諦(ししょうたい))のなか、私にとっての一切の苦を滅し、無常・無我の境地に至るための道程として示されたのが、「 苦滅道諦(くめつどうたい)」です。すなわち悟りを開く修道方法のことで、「 八正道(はっしょうどう)」がそれに当たります。
八正道の第一に「正見」が説かれ、それだけで苦滅道諦を代表する修道法でもあります。「正」とは「正しい」ということです。それは、今ここで起きていることに、利害や打算を抜きにして、「ありのまま」に接するということです。そして「ありのままに見る」ことを通して、私たちの正しい見解つまり「今、自分は何をどうすればよいのか」という方向を与えられるのです。

稲盛和夫さんが得度して仏門に入ったことで、私も仏教の勉強をしています。共有できる哲学、原理原則が有ると感じました。

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